日記的なサムシング

長文置き場

4月頭くらいからの話

初めて新木場に来た。迷いはなかった。前々からライブ映像なんかで見てて、いつか行ってみたいなぁとは思っていた。まさかこんな形で来ることになるなんてな。
第一報で葬儀既に済んでるって知らされたときの絶望感というか、その一文の信じられなさったらないな。つい昨日までずっと同じ空の下のどっかに居るんだって思ってた人が実はもうどこにもいなかったなんて簡単にゃ信じられねぇんだわ。今はなんとなく理解してる。でもその代わりにあの人がちゃんと存在してたってことへの理解のほうが揺らいだりもする。それほどにあの人の生き様は信じられないほど綺麗だった。
プレゼントは駄目とのことだったがどうしてもお手紙に何か添えたくて、先日初めて近所のスヌーピーのギフトショップに入った。あぁこれから俺はスヌーピー見る度にあの人のこと思い出すんだな、と思った。いやこれまでもそうだったけど。今までこれからとでは明確に違うじゃん。思い出し方が。
これはお手紙にさんざん書いたことなんだけどもう本当に今こうやって手紙書いてることが情けなくて、なんでもっと早く書かなかったのかって何回も自分を責めた。そういう選択肢のこと考えたことなかったわけじゃないんだよ。思いつかなかったわけじゃない。ただビビってやめちまっただけなんだ。何してんだか。お前の好きが絶対的に本物だったこと、しっかり自覚してたくせに。こんなに後悔しても自分のそういうビビリな性格は全然治ってないし、これからも多分同じ過ちを繰り返すし、そのたびにこのことを思い出すのだろう。
俺は俺がwowakaが死んだからwowakaの話、ヒトリエの話ばかりしているのだと思われるのがたまらなく嫌だから、だからそう思わないでほしいんだけど、まぁ実際そういう側面も無いとは言い切れんわな。だけど嫌なもんは嫌なのでそういう態度をとるよ。好きで音楽聞いて追ってきたわけだし、好きだから聞くのその話するの当たり前じゃんって言い訳をするし、音楽の話も人間の話もする。許してください。まぁ嫌なら見ないでくれよな、というだけの話ではあるが…

ここからは昨日の話。写真集ちゃんと手に入れられてよかった。涙ぐむ人たちを横目に泣けない自分が嫌になったり色々。いざ花もらって写真とギターとお花の山目にしたら息上がっちゃってもう頭ん中ぐちゃぐちゃのまま手合わせて、でもやっぽり涙零れんかった。なんでなんだろな。でも写真見たりツイッター見たりしながら、3人がちゃんとここにいることじわじわこみ上げてきたりした。あと俺も生きてるなと。いざ追悼会でいつも一緒に出てくるはずの4人が1人足りないの見たら耐えられるかなって思った。
人生で一番良いくらいの整理番号で呼び出されて、中入ったら完全にライブハウスの装いでビックリした。何やるんかなー想像つかないなーとか思ってたけどそれ見た瞬間直感に従いリュックをコインロッカーにブチ込みステージに近づけるだけ近づいた。あとはなんかもう一瞬だった。多分あの場にいた約1500人と3人、ニコ生見てるウン千人、みんなおんなじこと考えてただろうなーって感じした。お花捧げた段階じゃ俺ホントにここ来て良かったのかなって思ってたけど本当に来てよかったって思えた。俺の信じたサイコーはやっぱりサイコーなんだなってグラついた頭にガツンと教え込まれた。良かった、ありがとう。本当にそれしかない。今になって涙ぽろぽろこぼれてきて止まらなくて、それが、俺がそうなれたことがたまらなく嬉しい。
解散しないって言葉にどれだけ救われたか。多分あの瞬間みんな同じだったと思う。あの人に届けるために全うしてくれたあの空間、確かに届いたかな。俺あなたのこと大好きで良かったってちゃんと思えたよ。ありがとう。大好きです。今までお疲れ様でした、お元気で。またいつか、会いたいです。

ポラリス

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